芸術的な陶酔の一頁目


ジグソーパズルのピースがたくさん散らばっていた。一つとして同じ形のピースはなかった。どのピースも形が異なっていた。僕はピースを二つ摘まんで(右手と左手に一つずつ摘まんだ)、それらを繋ぎ合わせようとした。恐らく接合部分が合わなかったんだろうと思うが、僕は摘まんだピース二つを繋ぎ合わせることに時間を費やした。それでも僕は次々とピースを繋ぎ続けた。合いもしないピース同士を繋ぎ続けた。ジグソーパズルの箱には完成図が印刷されていた。僕が繋いだピースの塊(接合部分が合わないので、それぞれのピースは重なったり、折れ曲がったり、隙間が開いたりしていた)は完成図と一致していなかった。彼女は僕を狂人だと指摘した。冗談だった。僕は敢えて意識的に合いもしないピース同士を繋ぎ続けた。それとも合うピースを探し出す途中の時間を拡大して強調するためだったのかも知れない。それは短い時間だし、ジグソーパズルが完成して箱の完成図と一致すれば忘れてしまうほど短時間に起こることだった。合うピースを探すとき、合うかどうかを試すためにピース二つを繋ごうとする。合わなければ別のピースを探し始め、合うピースが発見されれば満足する。それが本来のジグソーパズルの遊び方といえよう。しかし僕は本来のジグソーパズルの遊び方に満足できなかった。僕は合いもしないピース同士を繋ぐことによって異様な完成品を見ることになった。

僕はテレビを見た。詩を書いている青年の姿がテレビに映っていた。僕はピースの塊を掌に乗せて転がしていた。どこからどう見てもピースの塊は歪だった。僕は気分が悪くなった。感触が掌から腕に伝った。僕は後頭部を小刻みに振るわせた。僕は悪い気分を持続したまま、ピースを繋ぎ続けた。床からピースを摘まんで、ピースの塊に押し込んでいた。そのとき、僕はある声を聞いた。女性のような声だと僕は思った。彼女は歌を歌っていた。小型テレビに音符が飛び交っていた。僕はそれを見ていた。彼女は美しい声で歌ったり、喋ったりした。彼女に抓られると僕は擽ったいような痛いような感じを受けた。僕は彼女の歌を聞きながらピースを繋ぎ続けた。長く直接的に繋いだり、球形に集めたりした。僕と彼女は小型テレビに映っている音符を一緒に見ていた。彼女は歌い続けた。僕は彼女と一緒に見た音符のことを誰にも教えてはならないと思った。彼女は長々しく歌を持続させていた。音符を見たことを誰かに教えても構わない、教えようと教えなかろうと、そんなことはどうでも構わないと彼女は思っているかのようだった。

彼女と会わない日が続いた。長く感じられた。ピースの塊が残されていた。僕は何ともいえないような気分だった。そんなとき、古い友人が僕を訪ねて来た。僕が小学生だった頃からもう何年も会っていなかった友人だった。僕は玄関を開けて彼を迎え入れた。彼は無愛想な表情で胸の辺りに両腕を組んで椅子に座り、曲がった左脚に曲がった右脚を上から掛けて乗せていた。彼の右足は揺れていた。僕は茶を差し出した。普通、僕が茶を差し出すなんてことは想像もできないことだった。生まれてから初めて茶を差し出したように感じられた。友人は椅子に深々と座り込んでいて目前の茶を飲むような素振りは感じられなかった。茶は熱そうだった。しかし直ぐに冷めてしまいそうな雰囲気だった。僕は立っていることに疲れ、友人と向かい合って椅子に座った。僕は圧迫を感じ、彼に出て行って欲しいと思った。彼は出て行きそうになかった。僕は我慢の限界を越え、何の用か? と彼に訊ねた。彼は上半身を前方に傾けて両肘で支えた。彼は僕を罵倒した。僕は驚いて後方へ僅かに退いた。僕は座り直した。彼は僕を驚かせたことを謝罪すると鞄から銅像を取り出してテーブルに乗せた。彼は銅像を眺め、嘆息を洩らしながら惚れ惚れとしている様子だった。銅像は人形のような形で構成に隙間はなく立っていた。何のために生きているか? と彼は僕に訊ねた。いきなり飛んでもない質問を浴びせられたと僕は思い、唖然とした。銅像のために君は生きているんじゃないか? と友人はいった。僕は彼が精神異常だと思ったが、会話することはできそうだった。銅像以外のために生きている、と僕はいった。彼は銅像を掴んで撫で下ろしながら銅像以外のものも銅像に含まれているんだぞ、といった。僕は口を閉じて鼻から息を抜いた。君が銅像以外のもののために生きているということは銅像のために生きていることなんだから君が生きていられるのは銅像の御陰であり、銅像に感謝しろ、と彼はいった。僕は銅像から顔を背けて、嫌だね、といった。彼は両手をテーブルに強く付いた。茶碗から茶が零れ出し、灰皿が弾んだ。彼は銅像を握ると僕の側頭部を叩いた。僕は頭を両手で押さえて床に転げ落ちた。銅像に感謝しろ、と彼は怒鳴った。嫌だねと思いながら僕は床に倒れていた。彼が近付いて来たので、僕は銅像を奪い取って床に叩き付けた。銅像の一部分が小さく飛び散った。銅像の形は大して変わらなかった。友人は銅像をテーブルに置くと僕を抱え起こした。急に友人が優しくなったように感じられた。君は銅像を嫌っているんだな、しかしそれも銅像の御陰だ、と彼はいった。僕は銅像を右手で倒した。銅像から逃れようったって無駄さ、銅像から逃れられる奴なんていないんだからな、と友人はいい、銅像を立て直した。友人は僕の肩を抱いて、君が銅像を嫌って拒否すればするほど銅像の流儀に嵌まっていることと同じだよ、銅像なしじゃ君は生きられないんだからな、といった。友人は僕の髪の毛に開いた手を当てていた。僕は銅像を取り寄せて抱き締めた。おお、と友人は感嘆の声を洩らし、僕から少し離れた。部屋の扉が突然と開き、彼女が飛び込んで来た。何してるの? と彼女はいい、僕のそばに座った。友人は茫然と見ていた。僕は銅像と一緒に彼女を抱いていた。友人は僕から銅像を取り戻すと上着の袖で銅像を磨いていた。彼女の柔らかい胸を感じながら僕は銅像を叩き落とした。友人は銅像を拾い上げながら、いい加減に諦めろよ、銅像の素晴らしさを君は知ったんじゃないかな、と彼はいった。友人は財布から札束を出し、数え始めた。凄いわ、と彼女はいい、札束を見ていた。凄いこともないさ、と僕はいい、偽札だろ、と僕はいった。本物だよ、と友人はいい、札束から一枚を抜き取って僕に渡した。僕は両手で札を持って引き伸ばした。僕と彼女は札を見詰めた。精密にできているけど、偽札に違いないよ、と僕はいい、札を友人へ返した。本物だよ、と友人はいい、彼女の背中を押した。僕と彼女は重なり合って床に倒れた。札が、一枚、僕の顔のそばに舞い落ちた。本物じゃないかしら、と彼女はいった。まあ、そうかもね、と僕はいい、彼女の背中に巻き付けた腕に力を加えた。僕が友人を一瞥すると彼は札束を数えていた。僕は顔を傾けて落ちている札を見た。やっぱり、偽物だ、と僕はいった。本物だよ、と友人は札束へ顔を向けたまま、いった。どっちなのかしら? と彼女はいい、僕の顔に頬を当てた。銅像が決めることだよ、と友人はいった。僕は彼女の両耳にそれぞれの手を当てて塞いだ。そんなはずがないじゃないか? 勝手に決めないでくれよ、と僕はいった。友人は銅像を掴むと猛然と僕を殴ろうとした。僕は殴られた。僕と彼女は互いに密着したまま、転がって行った。友人は銅像を振り上げて追いかけて来た。銅像は断続的に床に叩き付けられた。僕と彼女は壁に接触してもう転がれなくなった。友人は追い付いて振り上げていた銅像を振り下ろした。僕は両腕で彼女の頭を覆った。投げ放たれた銅像はカーテンに包まれてゆっくりと落下していた。重々しい音が聞こえ、床に落ちた銅像は僅かに動いてから止まった。あげるよ、と友人はいい、部屋を出て行った。かわいいわね、と彼女はいい、銅像を部屋の隅に飾った。

家具の配置がいつもと違うように僕は感じた。僕は彼女と一緒に家具の置き場を元に戻した。彼女はカーテンを開き、端の方へ寄せた。寄り集まったカーテンに銅像は阻まれて見えなくなっていた。彼女は窓に向かって立ち。深呼吸した。僕は椅子に座り、テーブルに右肘を付くと右手を右頬に当てて顔を支えた。顔は傾いていた。左腕は筋力が緩み、左脇腹と接触しながら微妙に揺れていた。両脚は曲がったまま、並んで、両足は床に接地していた。尻は椅子に乗っていて撓んでいた。彼女は思い出したように声の音程を上げ、貰って行っていいかしら、といってカーテンを捲り、銅像を抱えた。構わないよ、と僕はいい、瞬きを繰り返した。あらそう、と彼女はいい、銅像を持って部屋を出て行った。

僕は冷蔵庫を開けて食料を漁った。空腹というわけでもなかったが、無性に何かを食いたくなった。常日頃の僕が小食だったことを思うと自分でも奇妙に感じられた。部屋の中の食料を、大方、食べ尽くしても僕は食い気が収まらなかった。釘でも鉄球でもガラスでも何でも構わないから食わせろと僕は思った。最硬度の牙を獲得したような気分だった。僕は釘も鉄球もガラスも食わなかった。もし食ったら怪我すると思った。もし食ったら狂人になると思った。僕はそれらを退けた。何でも食えるという気分やまた何でも食いたいという欲求は収まることがなかった。


芸術的な陶酔の二頁目