芸術的な陶酔の二頁目


僕はベッドに寝ていた。夜だった。照明は消され、テレビ画面が映っていた。音量は小さかった。まだまだ僕は食い気が収まらなかった。僕は想像した。このまま、食い気が莫大に増大し続けたらどうなるだろうか? と僕は思い、想像した。僕は驚いてベッドから跳ね起きた。幻覚を見ていた。莫大に膨れ上がった化物が目前に現れた。僕はベッドに倒れ込んだ。何だ、ありゃ? と僕はいった。声は震えていた。両瞼を閉じてまた開くとやはり化物は見えた。僕はその化物を僕だと思った。化物と僕は、全然、似ていなかったが、僕はそう思った。化物は物凄い筋力を備えていた。僕は詳しく幻覚を見続けた。幻覚は目前にあり、通常の視界を背景にして囲まれているようだった。背景の一部は幻覚を見ている僕の後方へと至っていると思われた。化物は一匹だった。遠くに森が低く横長に延びていた。都市があった。人々が逃げ焦っていた。高架道路の下に緊急隊員たち数人が集まってトランシーバーで会話したり、人々を避難所かどこかへ誘導していた。化物の話を理解できそうな人はいなかった。化物が何かを話すとそれだけで人々は恐怖して逃げ惑っていた。化物は立ち尽くしていた。寂しそうだった。

僕は一人で道を歩きながら暇さえあれば幻覚を見ていた。両目の焦点を暈すようにすると目前に幻覚が現れた。幻覚はいつも同じだった。化物が、一匹、いて都市にいて遠くに森が延びていて空が広がっていた。緻密に見ようとすれば部分を拡大することもできた。高架道路の下に緊急隊員たちがいたり、建物の隙間に突進する人々がいた。

僕の食い気はいつしか収まっていた。化物を何とか制御しなければならないと思い、それに心労を費やしていたのかも知れなかった。化物は制御するのが不能と思われたが、僕が必死に頑張れば制御できそうだった。化物が何かをしようとすると途端に僕は制御した。例えば化物が人を踏み潰そうとしたときに僕は化物の足を止めさせた。尤も化物はやたらに暴れたりすることはなかった。しかし巨大な化物を見ているだけで僕は恐ろしくなり、いつ危険な行動を開始するかも不明だったので、僕は化物を制御しようと必死になっていた。

僕は彼女に説得されて美術学校に入学した。僕はどんどん実力を備え続けた。素晴らしい技術を習得し、コンクールで一等賞を獲得した。僕は授賞式に参加した。みんなに拍手で迎えられた。僕はメダルと賞状を授かった。彼女が祝福のキスを僕に与えた。授賞パーティが終了すると僕は彼女と一緒に二人だけで場所を変え、授賞を祝った。

一等賞を獲得した絵はある画家が描いた絵をモデルにしていた。僕が注目したモデルは多くの画家たちが描いた絵に発見することができた。僕が注目した絵画を描いた画家は恐らくまた彼よりも以前に描かれていた絵画をモデルにしてそれを描いたと思われた。僕が注目したモデルとは平板な背景に特徴点を打つというか、盛り上げてみせるというものだった。背景を暗くして特徴点を明るくしたりした。さらに特徴点の数は一個ではなく、もっとたくさんあった。画面全体に特徴点をたくさん打つ場合、そうした特徴点の画面に占める面積が背景よりも大きくなってしまい、逆に特徴点の集まりが背景のように見えてしまうことがあった。僕は注意してそれを避けた。またそれでなくとも背景に特徴点が埋没してしまうような状況(例えば面積が大きい背景を明るくして面積が小さい特徴点を暗くしてしまうこと)も避けた。避けるべき状況二つのどちらか一方でも感じられれば僕は絵画を描き直した。

絵画を描いたときからかあるいは僕が一等賞を授賞式したときからか定かではないが、僕は絵画を描くことに対して非常な困難に陥るようになった。それ以前の僕と比べようもないような変化だった。精神的な不安と身体的な衰弱に悩ませられるようになった。以前の僕ならばそんなことに悩んだりするはずはなかったと思われた。古い友人が出て行ってから僕は精神的に快調だったし、体力も万全だった。それが全く両方とも逆転してしまった。僕は次の絵画を完成させることができず、描いたり、消したりしてそんなことを繰り返してばかりいた。絵画を描くと僕は不安になった。不安になると僕はせっかく描いた絵画を消してしまった。すると猛烈な疲れを感じ、食欲も減退した。何かを食べなければならないと思っても食事を行う気力も体力もほんの僅かしかなくなっていた。窶れた僕を見て彼女は心配していた。僕は彼女が見ていると思うと無理に食べなければならないと思ったし、また実際に食べもした。ただ彼女と過ごした食事の間も僕は絵を描くことを忘れなかった。僕は絵を描きたい、それを忘れたくても忘れられず、僕は絵を描くことができる時間を作成するというか、工面することに忙しくなった。そんなことをやっていると分かったことだが、絵を描くことができる時間が工面できたとき、僕は相当に疲れてしまっていてもはや絵を描くことなんかできもせず、休息しながら体力の回復を待ち、また彼女と食事をすることにもなっていた。絵を描くことができる時間を工面したり、疲れた体を休ませている間、僕はなかなか気分が安定していた。前者の場合、僕はまた絵を描けなかったと思いながらも動こうにも動けず、ベッドに寝たままだった。彼女が僕の部屋を訪れる(それが僕を起き上がらせる契機だったのかも知れなかった)と僕は両腕を支え棒のようにして上体を起こし、両脚をベッドに滑らせて床に下ろし、レストランへ出発することにしていた。彼女が食物を部屋に持ち込むこともあり、その場合、僕はベッドに座ったり、寝たりしたまま、食事を行うことにしていた。

柄にもないことだったが、僕は美術学校の先生に相談した。なぜ僕は疲れ易いんですか? と僕は疑問を先生に告白した。先生は、疲れない人なんかいないだろ? といい、誰だって働けば疲れるんだから休むことだ、といい、笑っていた。僕は疲れることに疑問を感じていた。というのは僕が幻覚を見たときの圧倒的な体力を知っていたからかも知れないが、僕は疲労するなんてことを信じられなかった。絵を描くための筆を持つことにも苦労するなんてことを僕は信じられなかった。過去の体力に憧れて現状の衰弱を否定するのも変だなと思われたので、僕は現状の衰弱を認めることにしようと思った。どうにも衰弱を避けられそうになかったので、どうなるかを予想もできないことだったが、逆に積極的に衰弱し続けてやろうと思った。逆転の発想だった。だからといって莫大な体力が復活するわけでもなかったが、しかし僕は体力の衰弱に悩まされる(莫大な体力を要求する)ことは殆どなくなった。また同じように悩まされる(過去に憧れながら現状を否定することによって悩む)ことがあるかも知れないと思うと僕は断言できなかった。幻覚を見る以前に僕はそうした悩みと無縁になったはずだったにも拘わらず、今回、そうした悩みに僕が取り憑かれてしまったことを思うとまたいつ何時そうなるかも知れないので、断言を控えることにした。尤も僕は精神的にそのような悩みから解放されていたことに変わりはなかった。ただしその悩みによって体力が減退したことに僕は違いを感じていた。幻覚を見ていた当時の僕であればそんな悩みを吹き飛ばすことは造作もないことだった(実際に僕は鼻息で吹き飛ばしていた)が、そうした悩みを吹き飛ばすだけの体力がなくなってしまうとき、また別の方法を探すべきじゃないかと思われていた。

丁度、夏休みだったので、僕は旅行することにした。僕は絵を描くことが極端に下手になってしまったので、何とか技術力を向上させることが狙いだった。森の中にログハウスを借りて僕は生活していた。ログハウスは一軒だけ森に囲まれていて別の家は森に遮られ、見ることもできなかった。

早朝、僕は森の端まで歩いて行った。海があった。太陽が照っていた。雲が、数個、浮かんでいた。僕は森の中からそれらを眺めていた。空気が漂っていた。僕は砂浜を歩いて行った。岩があり、僕は石段を上って岩に座った。岩は歩道と浜辺の段差の陰にあった。僕は前を見ていた。海があり、空があった。太陽光が海面と反射する光粒がたくさんあり、点滅していた。

僕はログハウスに戻り、作業を始めた。しかしすぐにやる気は失せ、僕はベッドに寝転がっていた。

描きたいことが何もないようだった。友人がログハウスに訪れて来た。もう描くことなんか止めれば、と友人は提案した。嫌だね、と僕はいった。嫌だっていっても実際に何も描けてないんだし、だらだらしていても仕方がないだろ、と友人はいった。僕は溜息を吐き、どうしてこんなことになってしまったんだ? といい、昔だったら描きたいことがたくさんあって描くことが楽しかったのに、といった。さあね、と友人はいった。僕は項垂れてベッドに寝込んだ。

僕は知人に電話した。電話が繋がると受話器から知人の声が聞こえ、それと同時にゲームか何かをやっているのか知らないが、楽しそうな戯れ声も聞こえていた。戯れ声を無視して僕は自分のどうしようもない実情を知人に話し、助言を求めた。それはある種のスランプ状態かも知れない、と知人は指摘し、画家を、三人、僕に教えた。一人は若くして原因不明で死亡していた。もう一人は人生の半ばに描くことを止め、別の仕事に従事していた。もう一人は延々と描き続けていた。知人は延々と描き続けていた画家を先例として強調し、僕が描き続けられる可能性を示唆した。僕は気力を感じた。しかし体力はさほど増えたというほどでもなかった。増加した気力を体力と結び付けようとすると体力も一緒に増すようだったが、結び付けようとしなければ体力は弱々しいままのようだった。それらを結び付けるためには意志を持続することが必要とされるようでもあった。


芸術的な陶酔の三頁目