芸術的な陶酔の三頁目


もう描くことを止めれば、といった友人はベッドの傍らに座っていた。銅像に関する一件があって以来、僕は何かと友人に対して反発というか、抵抗を試みることにしていた。友人は全くいい加減な奴で、彼が次にいったことは、描き続けなよ、だった。それに反発するために僕がいわなければならないことは、もう止める、だったが、そうなってしまうと僕は困るので、そうするよ、と僕は答え、励ましてくれてありがとう、とさえいう始末だった。

僕は友人に反発することを止めたかのようにも思われるが、実際にそうではなくて僕は極端に大袈裟に礼を述べ、恰もそれが誇張された嫌味として把握されるように計らっていた。しかし友人が僕の礼を聞き、恥ずかしがって嬉しそうな表情を見せることを思うと友人に対して謝罪したい気持ちが溢れ出し、友人を追い払って彼女と抱き合ってしまうこともしばしばあった。そんなとき、友人と彼女はとことんまで似通っているように思われ、僕は友人と抱き合っているような錯覚を感じていた。僕の誇張された嫌味は友人に向けられていたわけではなくてどちらかといえば銅像の方へ向けられていた。しかしそんなときにも友人と銅像が酷く似通っているように思われ、銅像に向けたはずの嫌味を友人は彼自身の身に受け取って辛く思ってしまうんではなかろうかということを僕は危惧した。ただ友人が僕の嫌味を聞き、辛く思っているかどうかを僕は分からなかった。友人は全く何事にも無頓着な性格を有しているのかも知れず、僕が勝手に一人で混乱しているだけなのかも知れなかった。

夜中に僕は起き出した。悪夢だった。銅像が喜んだり、悲しんだりし、また飛んだり、跳ねたりしていた。そんなわけで、僕は心地よい睡眠が阻まれてしまったが、強烈な睡魔を感じ、また眠り込んでいた。

翌朝、僕は悪夢を思い出して銅像に対しても友人に対するときと同じように謝罪の念を感じた。僕は銅像を布で磨いていた。布は雑巾だった。友人は雑巾を僕から奪い取り、未使用だった布を僕に渡した。僕は友人から受け取った布で、銅像を磨いていた。そうじゃない、と友人は強くいった。雑巾で拭くな、と友人はいった。僕は不思議に思い、作業を中断し、布を友人の方へ寄せた。雑巾じゃないよ、今さっき君から受け取った新品の布だよ、と僕はいった。いや違う、それは雑巾だよ、と友人はいった。僕は布を投げ捨てた。僕は両手を上空へ掲げ、どうしようもないよ、といった。どうもこうもない、最低だな、君は、銅像を雑巾で拭くなんて、と友人はいった。僕はもはや怒りが頂点に達し、怒鳴った。君が新品の布を渡してそれで拭いたっていうのに君はそれを雑巾だというのか? ふざけるのもいい加減にしろよ、と。僕は床に落ちていた雑巾を拾い上げると猛烈に銅像を擦り付けた。止めろ、止めろ、と友人はいい、僕から雑巾を奪い取った。僕は何も持たず、銅像を布で磨く友人を見ていた。

友人は僕を銅像に寄せ付けないようにした。僕が銅像に触ろうとすると友人は、汚い手で触るな、といって僕を退けた。僕は洗面所へ行き、蛇口から水を噴出させ、石鹸を両手で擦り、泡で両手を洗った。石鹸が小さくなるまで僕は両手を洗い続けた。濡れた両手をタオルで拭いて僕は意気揚々と銅像を触ろうとした。しかし友人は、汚い手で触るな、といって僕を押し飛ばした。友人は勝手に僕を汚いと見做していると僕は思った。

あんなに銅像を嫌っていたあなたがなぜそんなに銅像を触ろうとするの? と彼女がいった。嫌ってなんかいないよ、しかしあいつめ僕を汚いと見做していやがるんだ、と僕はいった。構わないじゃない、放っておけば、と彼女はいった。僕はどうしても我慢ならなかった。僕は銅像と友人の方へ近付いて行って腕を伸ばした。友人は気付くと伸ばされた腕を叩き落とした。畜生め! といって僕は舌を打ち鳴らした。

確かに彼女がいったように僕は友人と銅像を放っておくべきかとも思われたが、しかし納得できなかった。我慢ならなかった。友人は、汚物だ、といった。僕は周囲を見回した。汚物らしきものは見当たらなかった。君だよ、君、と友人はいって僕を指し示した。何を! と僕は叫んだ。可哀想な汚物よ、と友人はいい、銅像に頬擦りしていた。どうして僕が汚物なんだ? 君こそ汚物そのものじゃないか? と僕はいった。銅像がそういっているんだ、君は汚物だって、と友人はいい、銅像に耳を当て、何やら聞いているような素振りを見せた。馬鹿なことをいうな、と僕は鼻息を抜いた。一体、僕が何をしたっていうんだい? と僕は友人に訊ねた。知らない、と友人は答えた。友人が僕を汚物と見做すことを僕は何とも思わなかったが、しかし恐ろしくなった。汚物はどうなるんだい? と僕は堪えられずにいった。汚物はトイレに落ちて下水道に流されてばらばらになるんだ、と友人はいった。汚物が僕だと思うと恐ろしくて仕方がなかった。僕はトイレの穴に引っ掛かって流れやしないよ、と僕はいった。余程、大きな汚物なんだな、しかし大きなトイレだってあるんだよ、流そうと思えば流せるんだよ、と友人はいった。だったらもっと大きな汚物を捻り出そうじゃないか、と僕はいった。じゃあもっと大きなトイレが必要だ、と友人はいった。僕は飽き飽きして友人から顔を背けた。

君は僕を流したいのか? と僕はいった。友人は銅像を抱き締め、両瞼を閉じていた。彼は眠り込んでいるようだった。そんなことでもなさそうだ、と知人が現れていった。知人はログハウスに飛び込んで来ていた。どういうことだ? と僕はいい、知人に会えたせいか安堵感がどっと染みていた。ゲームを中断してまでも知人が来てくれたと思う(知人はゲームを終わらせてから来たのかも知れなかったが)と僕は知人に礼を述べたくなったが、そんな間もなく、知人は話し続けた。いやね、彼が君を流すつもりだとしても分かっていることだが、彼はいつもいうことがいい加減だろ、だから全く逆のこと、つまり君を流さないことをも考慮するべきだと思うよ、と。彼に狙いなんてものは、一切、ないんだ、まあ、あるといってもないといっても同じだがね、と知人はいった。単なる脅しか? と僕はいった。いや、そう決め込んでも駄目だ、と知人はいい、脅しだと思い込んで不可能な夢だなんて思い込んでいると逆に危険だよ、といった。不意打ちに遇って流されてしまうかも知れない、と知人はいった。携帯電話が鳴った。知人は携帯電話のボタンを押して呼び出し音を止め、相手の声を聞きながら返事を繰り返していた。携帯電話のスピーカーから小さな声の雑多な集まりが静寂に紛れて聞こえた。知人はゲームの続きを行うために帰って行った。相変わらず、忙しい人ね、と彼女はいった。

雨が降った。屋根に欠陥があったらしく、天井の一部から水滴が点線になって床に落ちていた。修理工が、数人、来た。一人が数人から離れて立っていた。彼は図面を見ながら数人に対して指図を行っていた。数人は一斉に作業を始めた。床に積まれていた木材を運んで脚立を上り、天井に嵌め込んだ。欠陥があった木材は部屋の外に運び出された。僕と彼女は修理代を払うためにログハウスから出た。欠陥があった木材はトラックに乗せられていた。彼女は明細書を受け取り、修理工と雑談しながら金を彼に渡した。彼はトラックのドアを開け、座席に座り込んだ。トラックのドアが閉まった。エンジンが始動し、トラックは揺れていた。震える排気管から黒っぽい煙が噴き出して徐々に拡散しながら白くなって煙は消えた。トラックはログハウスから離れて行った。

また戻って来るよ、と友人はいい、スパナを僕に見せた。置き忘れてしまったんだ、友人はいった。スパナなんか屋根修理に使われていたか? といって僕は思い出した。しかしスパナは屋根修理に使われていなかったように思われた。戻って来ないね、と僕はいい、あいつらたくさん持っているんだから一つくらいなくなったって何とも思わないよ、といった。戻って来るさ、賭けてもいい、と友人はいい、スパナを振った。何を賭けるんだ? と僕はいった。銅像を賭けてもいい、と友人はいった。もし戻って来なかったら銅像をどうするんだ? どうしたってどうしようもないんだぞ、と僕はいい、捨てたって壊したってまた形を変えて現れるんだぞ、といった。あっ、といって友人は視線を逸らした。小型自動車が向かって来ていた。小型自動車は庭に停車した。作業服を着た修理工が屈みながら降り立った。修理工は後頭部を手で押さえながら、あの、とゆっくりいい出し、スパナがどこかに落ちていませんでしたか? といい、見回していた。これですね、と友人はいい、スパナを空中に翳した。ああ、といって修理工は安堵したような表情で溜め息を吐き出し、それです、といい、スパナを受け取った。助かりました、これがないとぶっ叩かれるんですよ、と修理工はいい、チーフにね、といって小型自動車の方へ歩いた。修理工は小型自動車に乗り込んだ。車内が狭くて乗り難そうだったが、修理工は何とか身体を縮め込んで小型自動車を運転して行った。小型自動車が見えなくなるほど遠く去ろうとしたとき、君が何を賭けるかを聞いていなかったね、と友人はいい、ガムを噛み始めた。友人は賭けに勝ったという満足感に浸っているようだった。僕は唾液を飲み込んでから、僕は君と賭けを行うなんて承諾してなかったんだぞ、といった。それは済まないことをした、と友人はいった。僕はうんざりして、賭けるつもりなんかないんだよ、と強くいった。いやいや、もしもの話として、と友人はいい、僕の腕に絡み付いた。僕は友人を振り払い、もしもも何も賭けないっていっているんだよ、といった。友人は項垂れてログハウスに入って行った。雨が大降りになっていた。


芸術的な陶酔の四頁目